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高木顕明師は浄泉寺第12代目の住職である。大逆事件に連座するや僧籍を剥奪(住職差免)され、判決が下りるや、擯斥(本人の追放だけでなく、家族皆浄泉寺より即刻出なさいという処罰(宗門にとって最も重い罰則)により、追放されました。顕彰碑報告法要の席上、高木顕明師の孫に当たる高木義雄さんは「母は、新宮を離れるとき、石を投げられながら去りました.どれほど無念であったかわかりません。....」と涙ながらに話されました。

*(平成8年4月1日) 85年ぶりに宗門【真宗大谷派 (東本願寺)】により僧籍が復権せられた。

*浜松にあった顕明の石碑を所縁の新宮の南谷墓地に移転し、顕彰の碑が建てられ、其の横に【高木顕明を顕彰する 真宗大谷派(東本願寺)】という説明版がたてられた。*1997年(平成9年)9月25日、小雨の中、新宮市南谷墓地にて顕彰碑建立奉告の法要が真宗大谷派宗務総長 能邨英士氏の導師により、厳修せられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

              

 

 

 

               

 

               高木顕明師の写真

資料説明1 高木顕明師と「新宮グループ」左から三番目が高木顕明。一八六四(元治元)年、愛知県に生まれ、縁あって得度し尾張小教校に学ぶ.新宮の浄泉寺住職着任までの約五年間、名古屋の大谷派寺院の寺役を手伝い、新宮近辺の炭坑布教(資料3)に関わる.写真は右より新村忠雄、峯尾節堂、高木顕明、大石誠之助、崎久保誓一。(明治四二年頃)『秘録・大逆事件上巻』春秋社版より転載

 

 

 

 

 

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