top of page
淨泉寺案内
真宗大谷派
淨泉寺


2025年遠松忌法要 ご案内
淨泉寺12代住職髙木顕明師は先の大戦にあたり、「極楽世界には他方之国土を侵害したと云ふ事も聞かねば、義の為に大戦争を起こしたと云ふ事も一切聞れた事はない。依て余は非開戦論者である。戦争は極楽の分人の成す事で無いと思ふて居る。」(「余が社会主義」)と
非戦の立場を貫き、御門徒との交わりの中で、言われなき差別や貧困に苦しむ方々の現状にふれ、平等と解放を訴えました。 何時までも平和な世界を願ってやみません
本年は火曜日です。お間違いなきようお参りください。
法要日時 6月24日(火)
AМ10時~ 顕彰碑前勤行 南谷墓地にて
PМ13時~ 遠松忌法要 淨泉寺本堂にて
PМ13時半~記念法話 講師 鶴見 晃氏(同朋大学教授)
PМ15時~ 交流会
PМ17時 終了

浄泉寺沿革
元和五年従五位水野出雲守源重仲公(徳川家康公の生母伝通院の弟藤次郎仲分公三男)遠州浜松城より新宮城へお国替に当たり浜松普法山善照寺別院住職小幡玄祐大僧正(僧名尊海上人)を同伴せられ当寺を建立し遠州浜松の地名をとり遠松山浄泉寺と名づけられ城主水野家よりは、代々菩提寺同等の待遇が与えられていた。
今も水野出雲守源重仲公、及び 淡州大守源良達公等の位牌が祠られている。
本堂屋根の正面に城主水野家の家紋がつけられているのもその為である。
新宮史誌及熊野風土記より
旧本堂 内陣
元和5年より幾度もの災害を免れて昭49年迄約400年間近く時代の変貌を眺めていた。
大逆事件当時の浄泉寺の本堂の姿である

jyosen2.jpg

kyuhon1.jpg

kyuhon2.jpg

annai22.jpg

annai.3.jpg

annai23.jpg
大正初期の新宮の町上の赤い所の寺院が浄泉寺
右上に新宮城(丹鶴城) [緑の所]、
左上が新宮熊野大社 青色の所が見える。
現在、浄泉寺の前を国道四十二号線が通り、
熊野川を渡り三重県へと続いている。
現在も、道路は上の地図と殆ど変わっていない。
右 初代当主水野重央公(みずの しげなか
全龍院殿前雲州太守日山常春大居士
左 第4代当主水野 重期(みずの しげき、) 和泉院殿前淡州太守静山日體大居士
安置されている
昔(上の写真)の浄泉寺本堂の鬼瓦
5月 境内の花
色々なアジサイとサツキが綺麗に咲いています。

023.JPG

022.JPG

021.JPG

017.JPG

015.JPG

014.JPG

018.JPG

012.JPG

026.JPG
bottom of page