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今日の日本の国は、敗戦という憂いの中で、塗炭の苦しみに喘ぎ、物質的にも精神的にもどん底の状態から立ち上がって参りました。現在、着る物も食べる物も、充分足っている状態に有ります。

しかし、人間としての礼節はどうでしょうか……。

 

今から十年以上前に、インドネシアのバリ島へ招待されたことがありました。以前からこのバリ島のことを「天国に一番近い島」とか「最後の楽園」「泥棒のいない島」という名前で呼ばれていると聞いたことがありました。なぜそう呼ばれているのだろう、それは、その地へ行って初めて納得がいきました。

海は青く澄み、木々の緑にブーゲンビリアの花や、ハイビスカスの花々が咲き乱れ、お浄土で、仏の法を説くという迦陵頻迦(かりょうびんが)(極楽(ごくらく)鳥(ちょう))とでも言える鳥の囀(さえず)りが、すぐ近くの木立の間から聞こえてくるのです。

阿弥陀経に描写されている極楽浄土さながらの様相は、楽園の名に相応しいものでした。しかし、その自然の美しさにまして、人間の心の清浄さ。

 

バスにのって山々の合間を縫って走っていると、日本の田園風景を思わせるような段段畑が続いていました。そんな村々を走っていく中で、最初の驚きは人々の生活の貧しさでした。

彼らの住んでいる家は、ヤシの葉っぱで編んだ屋根、雨風をどうにか防げる程度のほったて小屋のようなものでした。強い風が吹けば倒れてしまいそうな、そんな家に自分達は住んでいるのに、どの家にも、庭には立派な、日本で言う神様を祭る祠の様な建物が十個程も立っているのです。

 

 村々には寺院があり、一月に一度は必ず、自分達の生産した米や野菜、それに彫刻や織物などを持ってお寺に集り、神様に感謝するのです。私達が訪れたときに、偶々その村の御祭りの日だったのでしょうか、頭の上に彫刻の施された立派な銀の大きな皿を乗せ、それに果物を沢山乗せた多くの人に出会いました。

 

バリ島には幾つもの村が有ります。その村の一つ一つ仕事が違います。彫刻の村、銀細工の村、サラサを作っている村という具合です。どうして村によって仕事が違うのかガイドに聞きますと、こう説明してくれました。

 「漢字でしごとと書いてみなさい。 『仕事』と書くでしょう。それは『つかえること』と読めますね。何に仕えるのですか、そう神様に仕える事、それが私達の仕事です。私達は自分達の一番得意とする物を作り、其れを神様に捧げ仕えているのです。」と。

 

神様と共に生きる。神様に仕えて生きる。其れが人間の仕事であると教えてくれたのです。

帰国を明日に控えて、夕暮れの浜辺へ一人ふらりとでかけると、何人もの子供達が、手に御土産物を一杯持って私の周りに群がって来ました。

 彼らは口々に、私を「社長さん。社長さん。」と、そう呼ぶのです。「私は社長じゃない。」と言いますと、「こんなに遠い国へ遊びに来られるのだから社長さんだ。僕達がどんなに働いても、外国へ旅行することなどできません。」と言うのです。

 

 あの当時、バリ島の日雇い人夫の工賃が、何と一ドル (当時二〇〇円) と言うのですから、確かに彼らの言う通りかも知れません。

其の子供達のなかで、一番大きい子供にタバコを一箱あげると、嬉しそうにそのタバコを受け取り、一人一人の子供達に、さも得意げにタバコを配りながら、「この人友達、お土産要らない。」そう言って他へ行くように言うのです。二、三人を残してようやく子供達が去っていくと、たっしゃな日本語で、色々なことを話してくれました。

 

私が、「君の仕事は何ですか」と聞きますと、海の方へ手をやり、浮かんでいる沢山のボ-トを指差して、「あれが僕の仕事」というのです。彼の仕事は、ヨットのような小船で、観光客を乗せては海辺を一周し、途中で海に潜り、貝殻を拾ってそれを見せて、お金を貰うのです。

「こんな所で遊んでいないで仕事をしたら。」と言いますと、「今日の仕事はもう済んだ。」というのです。夕方と言ってもまだ日が暮れるまでには時間が有ります。

そこで、「まだまだ働けるでしょう、皆働いているよ」と言いますと、

 

「今日の生活する分だけは働いた。余り自分一人が働くと、他の人にお金が行かなくなるので、三組お客を乗せたら一日の仕事は終わりと決めている。」と、言うのです。

人を押し退けてでも金を儲ける。少しでも稼げるときに稼ぐ、何かそれがあたりまえの様に考えていた私は、驚きと、恥ずかしさで胸が一杯になりました。

 

 バリ島が『天国に一番近い島』そう呼ばれているのは、この人々の心の素晴らしさにあるのだと気付いたのでした。

 バリ島は信仰の国、人々は神々と一体の生活をしているのです。

それに比べて、今の日本の国はどうでしょうか、物質面は充分満たされていても、まだ足りないと感謝もせず、「衣食足りて、なお礼節を知らず」とは悲しいかぎりです。今私達に一番欠けているもの、

其れは信仰ではないでしょうか。

しかし、信仰と言っても正しい信仰でなくてはなりません。邪信とか、迷信、狂信というものでは、かえって人々を不幸にしてしまいます。

ここで静かに信仰について考えてみることにしましょう。

 

【邪  信】

 邪信というのは、どの様な信仰でしょうか?

「邪」とは、「よこしま」と言う事です。仏の教えである因果の法則に合わないという事です。因果とは、総ての結果には、そう成るべき原因があるという事です。

そう、花の種を蒔かなければ、花は咲かないという事です。故に「邪信」とは自然の摂理に会わない信仰、間違った信仰と言う事です。

易しく言いますと、邪信とは

 

一、欲の信仰

二、無智な信仰

三、あつかましい信仰(因果無視)

 

 【第一・欲の信仰】

私達は、日頃、仏様や神様の前でいろんなお願いをしています。人によっては、信仰とは、お願いする事ぐらいに思っている人も多いようですが、ではいったい何を願っているのでしょうか、一度静かに考えてみて下さい。

「お金が欲しい。家が欲しい。土地が欲しい。子供が欲しい。…………。」

何時も、そんなことを願っているのではないでしょうか、勿論それらの事が、生活をするのに必要でないというのではありません。

 

しかし、エチオピアや、カンボジアの難民のように、今日食べる米すら無い。寝る家も、体温を保つ衣類すら無い状態で、次から次へと餓死している人達のことを考えてみて下さい。

 今世界の人口は、約五十億(昭和63年当時)、そして、その人口の十分の一の五億の人間が飢えているのです。わずかな食物が無いために、又体温を保つための衣類が無いために死んでいっているのです。

 

 数年前に、上富田町の吉田啓堂先生(興禅寺住職)をお招きして、新宮仏教会主催の文化講演会が開かれました。先生は、その講演の中で、カンボジア難民キャンプヘボランティアとして訪れた時の事を話されました。

「当時、カウイダイキャンプには十五万人の難民が居りました。毎日平均七十人の人が、飢えで死んでいきました。その様子は、私達の想像を遥かに絶する程酷い状態でした。人々は、骨と皮に痩せ衰え、肩がとがり、肋骨が出て、お腹ばかりが大きく膨らみ、その下に二本の竹が付いているように見える程、大腿部も足首も太さが同じに見える程に痩せ衰えた足が付いている。目だけが異様にギョロギョロして、まさに地獄絵で見た餓鬼の様相でした。

 

そんな餓死寸前の彼等の前に、パンを持っていったのです。果たして、彼等にこのパンを見せて良いものか、我先にパンを求めてパニック状態に成るのではないか、私達は恐怖を感じていました。しかし、いざ配給の時になると整然と一列に並び、一人一人がパンを手にすると、『オクンナ』 (ありがとう)と合掌するのです。

其の姿に、私達は驚きと同じに、先程までの想像を恥ずかしく思いました。

 

皆に一つずつパンを配り終えた後に、私の側から離れようとしない一人の少年が居ました。彼の名前はアン。両親と兄弟を戦争で無くし、一人きりになった少年、彼はまだ六才でした。

後に知ったのですが、私が少年の父親に似ていたそうです。

生まれて初めてパンを手にしたアン少年は、パンを大事そうに胸に抱いて一向に食べようとしないのです。

 

おなかは、ペコペコのはずです。パンツだけをはいた裸のアン君にとってパンは全財産なのです。

私は、手真似で『早くパンを食べなさい。そうしないと、他の人が来たら取られてしまうよ』と、何度となく言うのですが、その様子に『うん。うん。』と、うなずきはするのですが、一向に食べようとしないのです。

 

そうこうしていると、上は十二才ぐらいから、下は四、五才位の子供ばかり五人の新しい難民が、力無くヨロヨロとふらつきながら避難して来ました。足は傷だらけ、化膿した足を引きずりながら、やっとの思いでたどり着いたのでしょう。その子供達が私達の前を通りかかったその時でした。

 

突然、私の側でパンを大事そうに抱えていたアン少年は、彼等の側へ歩み寄ったかと思うと、無造作にパンを二つにちぎって、一番小さな子供に手渡したのです。最初、貰った少年も何が起こったのかその状況に戸惑いを見せていましたが、やがて静かに彼に向かって合掌し、『オクンナ』と弱々しい声で答えました」

 

 吉田先生の話をその聞いて、私達は自分の国を、自分の心を反省せずにはいられませんでした。

 タイやカンボジアは仏教の国、飢えて餓死寸前の状態にあっても他人を思い遣る心を持っているのです。

 

 それに比べて、私達の生活はどうでしょうか。

今日の食べる物がない、寝る家が無いという人が果たして多く居るでしょうか、

今日の日本の国は、福祉制度のお陰で、生活が苦しい者は、生活保護も受けられます。

おそらく今日の食べる米がない、寝る家が無いという人は少ないと思います。

 では、私達が毎日仏様の前で、願っている思いは、どの様な思いでしょうか?

 

今日食べる物は有るけれど、もっとおいしくて贅沢な物が食べたい。

今住む家は有るけれども、もっと良い家に住みたい。庭が有り日当りが良くて

、環境の良い所に住みたい。今着る服は有るけれども、高価で流行の服が欲しい。

という願いではないでしょうか。

 

タンスのなかを覗いて御覧なさい。冬服、夏服、合服、一年に一度も着ないような着物まで、沢山あること、家のなかを見回しても、使わないものが沢山有ります。

エチオピアやカンボジアの難民のように餓死寸前の状能で、何か食べたい。飲みたい。と仏や神に願うのなら、まだ神仏に通じるかもしれませんが、私達は、有り余る程与えられているのに、その上の願いは、むしろ欲ではないでしょうか。そんな欲の心で仏様に願っても通ずるはずがありません。

 

第二・無智な信仰】

 私達は口々に「幸福になりたい。」と、言います。しかし、本当の幸福とはどうなることなのか理解しているのでしょうか。

 いや寧ろ、幸福とはいかなる状能かさえも分らないのではないでしょうか、其れが証拠に、誰もが現に求め苦しんでいるのですから。

 

 ある時、檀家の人達にこう聞きました。

「今までに一番幸せだなと思った時はどんな時ですか?」と、

するとある人が答えました。

「それは何と言っても、妻と巡り合ったときです」と、

又、ある人が答えました。「子供を授かったときです。」と。

誰もが、一番の幸せはと聞くと、愛する者と出会い、結婚し、子供を、授かった時と答えました。

 

 では逆に、「今までに、一番不幸せな時と感じたのはどんな時でしたか?」と聞きますと、

ある人が答えました。「主人に死なれた時です。」と。

又、ある人が答えました「戦争で、子供を無くした時です。」と。

一番の幸福は何かと聞くと、愛する者と出会う事と答え。   

逆に一番の不幸せはと聞くと、愛する者と別れた事を挙げました。

 

しかしここで静かに考えて見て下さい

愛する者と出会うことは、必ず何時か愛する者と別れることを含んでいるのです。

中国の儒学者、洪応明(洪自誠)が書かれた『采根譚』という本があります

その中に、

「子生まれて、母危うし、

         きょうつんで、盗うかがう 

                       何れの喜びか、憂いに有らざらんや」と著わされています。

 

 子供が生まれるという幸福には、母親の命が危ないという不幸せが潜んでいる。

 財産がたまるという幸せの裏には、盗まれたりして失う不幸も含まれている。

 どんな幸せの中にも不安や憂いが伴っているという意味なのです。

 

今私には二人の子がいます  しかし、結婚をしてから数年間、いっこうに子供に恵まれませんでした。

最初の二三年は、さほど子供が欲しいとは思っていなかったのですが、四年目になりますと、両親やら檀家の方々から、子供はまだかと催促をされるようになりました。それでも授からないものですから、私達にはお与えが無いのだと諦めにも似た気持で五年目を迎えました。

 

 そんな或る日、「子供を授かったみたい。」という妻の言葉に、どれ程幸せを感じたことでしょう。

月満ちて、いよいよ出産という時期が来ました。初産という事もあったのでしょうが、十二時間を経過してもいっこう、産声が聞こえてこないのです。それに代わって妻が苦しむ声が分娩室から聞こえてくるのです。その時になって初めて、有頂天になって喜んでいた心が冷め、しだいに妻の命が危ないのではないかという不安が、大きく膨らんで来るのを感じ始めていました。愛する子供を得る喜びが、ややもすると、妻を亡くすどん底の苦しみをもたらすことを知ったのでした。幸福の裏には必ず不幸せも付いているのです。

 

中国の諺(ことわざ)に「人間万事塞翁馬(にんげんばんじさいおうがうま)」というのがあります。

 

昔中国の塞上という村に、一人の老人と息子が住んでいました。この親子は、それは素晴らしい白い雄馬を飼っていました。毎日この親子は馬に餌をやり、体を綺麗にしてやって、とても大切に育てていました。

しかしある時その馬が、突然狂ったように暴れだしたかと思うと、柵を跳び越えて逃げて行ってしまいました。そこで、その噂を聞いた村人は、老人と息子が大切な馬を無くしてしまって、悲しんでいるだろうと、慰めにやってきました。 

「御爺さん、大切な馬を無くされてお気の毒なことです。気を落さんように。」

すると老人は、独り言のように「何が幸やら、不幸やら」と、つぶやくのです。

村人は、最初はあまり気にも掛けずに帰って行きました。

 

しかし、それから数日が過ぎた頃、あの逃げて行った白い雄馬が、雌の馬を連れて返ってきたのです。

すると、噂を耳にした村人が、御爺さんの所へお祝いにやって来ました。

「御爺さん、良かったですね、財産が二倍になって、子供でも出来たら大変な儲け物ですよ。」と、

すると又、以前と同じように「何が幸やら不幸やら」と言うのです。

せっかくお祝いに来たのに、なんと偏屈な御爺さんでだと、呆れながら帰っていきました。それから又数日が過ぎました。

息子は、連れて返ってきた野生の馬を、調教しようと考えました。嫌がる野生の馬にタヅナを付け、無理矢理にその背中に跳び乗りました。馬は、狂ったようにあばれ、一跳ね二跳ね、その拍子に息子は、仰向けになって大地へ叩き付けられてしまいました。

その時不幸なことに、大切な片足を骨折してしまったのです。

 

村人達は、その噂を聞いてお見舞いに集まってきました。そして、口々に、慰めの言葉を言いました。

すると、老人は、以前と、同じ様子で「何が幸やら不幸やら」と言うのです。

人々は呆れ返り、「何が幸やら、不幸やらとは何ということか。自分の大切な息子が足を折って一生体が不自由になるかもしれないのに、幸せな筈が有ろうか、不幸にきまっている。」そう口々につぶやきながら怒って帰っていきました。

 

 昔の中国は、多くの小国が集まって成り立っていました。その為、隣国同士の戦いがたびたび起こりました。その時、大変大きな戦争が起こりました。

この親子が住む村からも、多くの若者が戦争に掛り出され、そして、死んでいきました。

 

しかし、この息子は、足が不自由なため戦争に取られることも無く、命を永らえたというのです。

この話を聞くと、老人が、何時も口癖のように、「何が幸やら不幸やら」と、言っていたように、何が幸せになるやら、何が不幸せになるやら、本当に分からなくなってしまいます。

 

 賢明な貴方はここまで話せばもう理解されたことと思います。私達は

 

自分の思い通りになった時を幸福と言い、

               自分の考えていた通りにならなかった時を、不幸せと言っているのです。

 

更に、その時その時の一瞬だけを見て、幸福だとか、不幸せだとかいって、喜んだり悲しんだりしているのです。

最近の新興宗教は、この一瞬の幸せだけを求めているのではないでしょうか、

たとえ一つの願いが仮に叶ったとしても、苦しみからの本当の解決になるのでしょうか

 

例えば、子供が欲しいと願っていた人が、その願い通りに子供が授かったとします。

確かにその時点では、願いが叶ったのですから幸せのように思えます。

 しかし、それではもう苦しみが無くなったのかというと、次には、子供の養育に悩み、年老いてその子供に逆に苦しめられるかもしれません。病気が治れば幸福になれると祈った人が、その願いが叶って病気が治ったとしましょう。

私達は、何かこのような幸せを常に求めているようですが、それ以後絶対に病気にならないのでしょうか。いいえ、人間は、『四百四病其の身に逼切(ひっせつ)するを』と源信僧都が言われるように、この体自体、四百四病の入った器であります。

 若いうちはともかくも、歳を取れば病気がちになり、必ず祈っても願っても避けられない死病というものがやってまいります。病気が治ったと喜ぶ人は、今度又病気になったとき苦しむ人でもす。一時の喜びだけで、何時か又苦しむことになるのなら、本当の幸福とは言えません。

 

お釈迦様の説かれた世界に、「天上界(てんじょうかい)」という世界が有ります。

 

お釈迦様は、苦しみの世界として地獄や餓鬼や畜生の世界を説きました。さらに、人間の求めている楽しさの世界として天上界を説かれたのです。

しかし、一見幸福に見える天上界も六道輪廻する迷いの世界なのです。その世界の中の朷利天(天上界中下から二番目の天)は、食欲、色欲、睡眠欲、名誉欲、財欲が総て満たされ、寿命も一千歳。

ただし、朷(とう)利天(りてん)の一日は人間世界の百年に当たるのですから、十万年も生きられることになります。

 

 奇麗な大きな空殿(家)に住み、広々とした庭に花々が咲き乱れ、天には奇麗な羽衣を看た天女が舞踊り、音楽が流れ、多くの人々に傅(かしず)かれて思うまま気儘に暮らせるのです。

まさしく天上界は、私達が日頃望んでいる総ての欲望を満たしてくれる世界ということになります。

 私達は、そう成ることに幸福を見出し、そうなれば幸福に成れると思っています。

 

しかし、この総ての幸福を満たしてくれる天上界の天人でさえも、死を免れることは出来ません。死期が近づくと、五つの衰えが現れます。これを天人五衰(てんにんのごすい)というのです。

 

源信僧都は、

「一には、頭の上の花飾りが急に萎み始め、

 二には、天の羽衣も塵や垢で汚れ、

 三には、脇の下から汗が出るようになり、

 四には、両眼が凋み、

 五には、住み慣れた住まいも楽しくなくなる。」

と、あらわされました。この五衰が見えて参りますと、薄情なものです。今まで仕えていた天女も従者も皆遠ざかってしまい、この天人をまるで草のように棄ててしまいます。彼は、林の間で倒れ伏して嘆き悲しみます。その苦しみは地獄の苦しみの十六倍の苦しみを味わわねばならないと表わされています。

 この世界は何を私達に語りかけているのでしょう、

世間で幸福の絶頂の様を、有頂天になっている。と言いますが、(この有頂天も天上界中、欲界の最上の世界ですが)そんな幸福の絶頂の人でも、やがて何時かは不幸の淵に身を沈めて悲しむ時が来る。

遅くとも臨終の時には、今迄の幸福は何時までも変わらない本当の幸福では無かったと気付くときが来るのです。

一時の幸福に迷って真の幸せを見失ってはいけないと知らせているのです。

 

親鸞聖人のお書きになった 『現世利益和讃』に、

南無阿弥陀仏を称うれば 

              他化天の大魔王

      釈迦牟尼仏のみまえにて 

                          まもらんとこそちかいしか」という和讃がありますが

 

この他化天こそ他化自在天といい、欲望の満たされる天上界の最高の世界です。

他化天は、他人のなす楽しみを、自分の楽しみとする世界ですから、自分は全く苦労しないで楽しめるのですから、最高の世界と言えるかも知れません。しかし、その世界には悪魔の大魔王がいるというのです。

一見、幸福の世界のように見える世界こそ、同時に悪魔の世界でもあるのです。

一時の幸せに溺れて、真の幸せを見忘れたときこそ、一番の不幸せなときかも知れません。

 

今日の宗教は殆どこの目先の幸せをちらつかせて、本当の幸福を求めることを忘れさせているのではないでしょうか。それはちょうど麻薬をもって快楽に陶酔し、覚め始めると苦しみにあえぐ様に似ています。

故に無知な信仰というのです。

 

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