淨泉寺案内
真宗大谷派
淨泉寺


2025年遠松忌法要 ご案内
淨泉寺12代住職髙木顕明師は先の大戦にあたり、「極楽世界には他方之国土を侵害したと云ふ事も聞かねば、義の為に大戦争を起こしたと云ふ事も一切聞れた事はない。依て余は非開戦論者である。戦争は極楽の分人の成す事で無いと思ふて居る。」(「余が社会主義」)と
非戦の立場を貫き、御門徒との交わりの中で、言われなき差別や貧困に苦しむ方々の現状にふれ、平等と解放を訴えました。 何時までも平和な世界を願ってやみません
本年は火曜日です。お間違いなきようお参りください。
法要日時 6月24日(火)
AМ10時~ 顕彰碑前勤行 南谷墓地にて
PМ13時~ 遠松忌法要 淨泉寺本堂にて
PМ13時半~記念法話 講師 鶴見 晃氏(同朋大学教授)
PМ15時~ 交流会
PМ17時 終了
◆【暦(こよみ)】は、中国から入って来ました。
昔の中国は小さな国の集まりで、常に隣国とは戦争を繰り返していました。
戦争をする時には、その戦について占います。先勝、友引、先負、大安、仏滅、赤口と、これ総て戦を意味しています。
先勝(さきがち)「先んずれば勝つ」の意味。
友引(ともびき)「進まず引かず」で、「勝負がつかないこと」の意味。
先負(さきまけ)「先んずれば負け」の意味。
仏滅(ぶつめつ)(ぶつめつ)「大切な物を失う」物が仏に変化している。
大安(だいあん)「大いに安んず」で、戦いがなく安心なこと。の意味。
赤口(しゃつく)「陰陽家が、万事を凶とした日。狛犬の口が赤くなると洪水が起こるという故事による。」の意味 【開運暦から抜粋】
◆【六曜】とは、日の吉凶を表す迷信のひとつであり、よくご存じの「先勝」「友引」「先負」「仏滅」
「大安」「赤口」の六つがあります。
旧暦の一月一日を先勝、二月一日を友引、三月一日を先負という順序で並べる一方、一月一日は先勝、
二日は友引、三日は先負とあてて循環させる。月の末日で循環は打ち切られ、次の月の六曜が始まるといった、きわめて単純な配列になっています。
考えてもみてください。大安が良い事ずくめかと言うと、そうでもありません。大安の日が良いと選んで結婚をするのでしょうが、離婚をする人々の多いこと、年々増えているそうですし、ずいぶん前ですが、我が国初の国産旅客機が、松山の空港沖で墜落し、乗客全員が遭難した日は、大安だったため、大半の人が、結婚式をあげたばかりの新婚旅行客であったという悲しい事故もこの大安の日でした。
友引は、唐の時代の中国で始まった六曜の 一つで、もともとは、月曜、火曜と同じ単なる記号だったのが江戸末期になって「友を引く]「縁起が悪い」とこじつけられるようになったと言われています。
友引には、友を引くから葬儀をしないと言うのも、元を知れば単なる語呂合わせなのです、昔はほとんど土葬でした。火葬するようになったのはごく近年のことなのです。最初に火葬場が出来たのは神戸だったと聞きます。すると、近郷の人々が、火葬場へ次から次へと遺体を運んで来るようになりました。そのため、職員は休む日もありませんでした。
そこで暦を見ましたら、友引と言う日がある。 友引の日は、葬儀をして火葬にすると友を引くからやめた方が良いと言えば、気持ち悪がってやめるであろうと考えたようです、それから、友引はやめた方が良いと言い始めたと言われています。
最近では、お寺さんの中には、友引は休日ということで、そんな日もないと他所へ遊びにも行けないと、人々の言うように、その日をさけている人もいるようです。
【閏年(うるうどし)】
閏とは、元々、余るという意味で、大陰暦の一ヶ月は、平均二十九日で、毎年十数日の余りが生じます。
そこで、三年に一度、五年に二度、十九年に七度の割合で、閏月を置いて1年を十三ヶ月としたのです。
閏年にはお墓を建てたり仏事の事をしたら、災いがおこると気にしている人がいますが、全国的には、九州の鹿児島と土佐の一部、紀州の一部に言われる迷信です。
元々の起こりは信仰からではなく、殿様の政策によるものでした。
昔(江戸時代)は、士官している武士の給料は禄(ろく)といって、今のような月給ではなく、年給でした。
一年の給料をまとめてもらうのです。そうすると、一年が十二カ月の時は良いのですが、閏年の時は、十三カ月あって一月多くあります。同じ給料で一月多く生活をしなければなりません。そこで、紀州の水野の殿様は、「閏年の時には、お金のかかる仏事や結婚式は、できるだけ派手にしないように」と、質素倹約をすすめられました。
鹿児島の島津藩では「閏年にはできるかぎりつつしめ、とくに高価なものはひかえよJという、おふれが出ています。それが何時しか、仏事の事だけがのこり、閏年には、仏事のことをしないように、となったのです。全国的には、その様なことは言いません。
● 良い方向、悪い方向ということもありません。●
例えば、仏壇の向きにしましても、良い方向、悪い方向ということを言う人もいますが、信仰をする事こそが大事であって、向きがどうこういうことはありません。ただ、東向きが良いとか、南向きが良いと言うのには意味があります、
● 例えば、東向きが良いと言いますのは仏壇を東へ向けますと、拝む方向が西になります。それは西方浄土を拝むということで、阿弥陀仏を信仰している人々には、良い方向となります。
● 又、南向きが良いと言われますのは、
仏壇を南向けて置きますと、拝む 方向は、北になります。仏教一般 では、北は聖地で、インドの国では、北にヒマラヤ山がありますが、 あのヒマラヤ山は、霊山といわれ、仏様が住んでいる世界であるとされています。その仏様の世界より流れ出る川なので、ガンジス川の水は、聖なる水なのです。
そこで人々は北を拝みます。さらに、お釈迦様が生まれた所は、ヒマラヤ山の麓、今のネパール(ルンビ二ー)にあたります。地図で見ますと、インドの北方に位置します。お釈迦様は三十五才で悟られて後、インドの国を遊行といって教えを勧めて旅をされました。その旅先の地は、生まれた地より地図で見ますと下の方、そう南方に位置します。そのため、お釈迦様は故郷(北方)に向って足を向けて眠らず、涅槃に入られた時も、頭を北へ向けて(頭北面西)で往生せられました。そこで南向は良いと言うのです。しかしこれらは、あくまでも心の向く方向であり、一般的な方向ではありません。現に、地球は回転しながら太陽の周りを回っているのですから、こちらが東と方向を定めても、地球は回るのですから、東も西も方向が一定ではありません。丸い物を手にして上(北)と下(南)を指ではさんで回してみれば良く理解できるでしょう。勿論、方向を定めることが悪いと言うのではないのです。信仰の心から、こちらが西方浄土であると拝むことは、すばらしいと思うのです。
ただ方向に捕われて、その方向に怯える信仰は悲しい事です。
『阿弥陀経』には、東南西北下上、六方総てに、ガンジス川の砂の数程のかぞえられない程多くの仏様がおられると説かれています。総ての方向は、拝む方向であり、悪い方向はないということになります。
『法華経』の「常(じょう)不軽(ふけい)菩薩品(ぼさつぼん)」(」)にも、常に人々を、「この方は仏となられる方、この人にも仏となられる仏性がある。」と総ての人々を何時か仏様になられる尊い人であると拝んで生きられた菩薩の生活が説かれています。
この人は悪い人、この人は善い人と、とかく 決めて人を見る私達、ひどくなると、
「人を 見たら泥棒と思え。」と、総ての人々を悪人 と見がちな私達、その心と違って、総ての人々を尊い人と拝まれた心や、総ての方向に仏様がおられて、私を守り導いて下されていると 拝んでいく心こそ、仏の教えるものなのです。悪い日、悪い方向を決めて、怯える生活 とは、天と地程違うと思います。
仏の教えを 静かに心にいただきますと「すべてがありがたい。」とうなずけるのです。
【第三】霊的な物の責任とする
苦の原因を、先祖や水子という霊的なものに、災いを受けていると責任転嫁する考え方があります。
自分達は一生懸命やっているのに、なぜ苦しい事に合うのだろうか、そう思っている時、ある人から、
「それは、先祖や水子の祟り(たたり)です。」と言われ、それを真に受けて、その災いから逃れようと苦しんでいる人がいます。
例えば、水子が自分達に災いを与えていると考える人がいますが、はたしてそんな小さな可愛い水子がたたるでしょうか?自分達の都合で、勿論子供がほしいと願っていたのに自然に流産した人もいるでしょうが、闇から闇に葬った、それだけでも可愛そうなのに、その上自分達に災いをなす悪魔のように思うことは、あまりにも、親として、ひどい考えではないでしょうか。
本当の苦の原因は水子にあるのではなく、水子がありながら、その子供を顧(かえり)みる事もなく、その罪さえ忘れて、自分達本位の生活をして来た。その生き方に原因があるのではないでしょうか、災いから逃がれるための信仰ではなく、その子供が仏様の国で幸せになってほしいという願いの信仰であってほしいと思います。
又さらに、【先祖が祟る】という事はどうでしょうか、あなたに子供がおられたら、その子供の事を考えてみて下さい。其の子供の首を絞める事が出来ますか?
私には出来ません。親先祖も同じだと思います。私にも子供が二人いますが、その子供達が将来、自分を捨てて出て行く事があるかもしれません。自分の願いとしては、子供達が、幸福な結婚をして、その子供達や孫と老後を楽しく生活をしたいと思っています。
しかし、その願いとは逆に歳を老いた私を、邪魔者あつかいして、あげくの果てには、私を捨てて出ていったとします。
その時は、子供達を苦労して育てて来たのに、私を捨てて何と薄情な子供達であろうと、嘆き悲しむかもしれません。しかし、「あの子供達が憎い」、「何時か、この怨みをはらしてやる。」「呪ってやる。」と思う親がいるでしょうか、おそらく、そのような親は一人もいないと信じます。
たとえ、子供が私を捨てたとしても、怨む気持ちにはなりませんし、どんなに裏切られても、愛する子供達を呪おうなどとは、決して思わないでしょう。それどころか、愛し続けるでしょうし、その子供達の幸せを願うと思うのです。それが親心であります。親が子供に対して思う心も、祖父母が孫に対して思う愛情も同じと思います。
それはとりもなおさず、先祖が子孫に対して幸福になってほしいと願う心と同じです。子孫の幸福を願いこそすれ、子孫を不幸に陥れてやろうなどと思うでしょうか、もしそう考えるなら悲しい考えといわねばなりません。
先祖が祟ったという考えより、不幸の原因は、親先祖のお陰で今日があるにもかかわらず、感謝する事もなく、親先祖を忘れた生活をしていることに、問題があったと気付くべきではないでしょうか、親、先祖の恩を思い、敬愛する心でお祀りすべきであって、先祖の祟りへの恐怖から供養するという考えには、先祖の恩を思い感謝する心とは別に、自分の安全のためという打算があるように思います。
親先祖に感謝することのない生活は、同時に、一人で生きて来たというような自惚れにほかなりません。そんな心で生活をしていれば、人に感謝する心も薄く、他人ともうまくいくはずがありません。そのうえ、親先祖に感謝していないのですから、子供が親であるあなたに感謝するはずがありません。
そうなれば、当然家庭がうまくいくはずがありません。常に苦の原因は自分の生き方にあります。
苦の責任を自分以外に転嫁しがちな私達ですが、それでは、苦しみから決して解放される事はありません。
仏教は、苦しみに出合った時、逃げる事を教えているように考えている人がいるようですが、決して逃げる教えではありません。
常に苦の原因は、私の生き方、行いにあると、自らを見つめていく
そこに本当の幸福を手に入れる道があるのです。
