仏の教え】 (本当の自己に出会う)
昔、中国が唐と呼ばれていた時代に、沂州に道林禅師と呼ばれる高僧が居ました。
この高僧は、何時も高い木の上に座所を造り、座禅をしておられました。床の上で座禅をすることも大変です。ましてや、高い木の上で座禅をすることは、一歩間違えば、落下して命に係わります。それほど命を賭けて道を求めていたのです。
その姿が、遠くから見ると、丁度鳥が、木の上に巣を造り、卵を暖めているように見えるものですから、鳥の巣の禅師と書いて、鳥巣禅師と人々が噂していました。
だから、鳥巣禅師とは、人々の付けたあだ名でしょう。そこへ、日本でも詩人として名高い白楽天
(本名は白居易)が、沂州の知事として就任していました。その噂を耳にして、禅師の元へ訪ねて来ました。
白楽天は、かねてから仏教に興味を持っていたのでしょう。
訪ねてみると、人々が噂しているように、禅師は、木の上で座禅をしておられる。
木の上の禅師に向かって、
「険なるかな(危ないぞ)」と叫ばれます。
すると禅師は、下にいる白楽天に向かって
「険なるかな (危ないぞ) 」と言い返します。
「私は大地の上に立っております。なにが危ないのですか」と、
すると禅師は、「薪火相交わる。識性止まらず、あに険ならざるを得んや」
(いかに地位や名誉、権力を持っていると誇っても、一度無常の風が吹けば灰と成らなければならないぞ、其れでも危なくないか、心構えは出来ているか。)と
【蓮如聖人】の詠まれた詩に、
「一大事、たった一度の一大事、知る人あらば、尋ねたいもの」というのがあります。
人生の大問題は、この『死』ということでしょう。総ての苦の根底にはこの『死』があるのです。
病気になって苦しむのも、そこに死が見えるからです。
何ヵ月か病気をしても、死なないのだとなれば、確かに苦痛でしょうけれど、さほど病気を恐いとは思いません。お金が無くなって生活が出来ないと苦しむもの、そこに食べられないと死が見えるからです。
住む家がないと苦しむのも、外敵によって生命の危険(死)を感じるからです。
勿論、いくら財があっても、いくら権力が有っても、死から誰も逃れることは出来ません。
先に述べた天上界の天人でさえもやがて死が来るのです。死の苦しみを如何に解決していくか、
死もまた自分のものであると見詰めていくところから仏の教えが始まるのです。
さらに白楽天は尋ねます。
「仏教とは、何を教えるのか?」と
すると禅師は、
「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教 」と答えます。
悪いことをせず、良いことを勤めてする。
自らを身も心も清らかに保つ事、其れが諸佛の教えである。という意味です。
すると、その言葉を聞いた白楽天は、ケラケラケラ……と笑いながら、「そんなことなら、三才の童子でも知っている。」と言います。
中国は、御存じのように、儒教の国、道徳は子供にまでも徹底されていました。だから、
(なにを今更、つまらないことを言うのか、そんな事ならば誰でも知っている。と内心思ったのです。
しかし、禅師はその言葉に続けて、
「三才の童子も言ひ得ると雖も、八十の老翁も行ふことをえず。」
(三才の子供でも知っているであろうが、八十の老人に成っても出来るものではない。)と言われます。
仏の教えは、単に、良いことをせよ、悪いことをするなということではないのです。
良いことをせよ、悪いことを慎め、と言う言葉の中には、
「貴方本当に末徹った善が出来ますか?」
「本当に悪いことをせずにおれますか?」という問いが含まれているのです。
その問いかけから、私自身の本当の腹の中が、姿が、映しだされてくるのです。
仏の教えは、自分を見詰めていくことから始まるのです。
【自己を見る】(本当の自分を知る。)
私とはどのような人間なのでしょうか。
「私はそれほど善いことをする人間ではないけれど、さほど悪いことをする人間でもない。
いや、むしろ善悪を分別できる善人である。」 そう考えているのではないでしょうか。
果たして私は善人なのでしょうか。
仏の教えを紐解きますと、私の事を
『濁世の郡萌、穢悪の含識、垢障の凡愚、罪悪生死の凡夫』と説かれています。
生まれて以来罪をつくりながら生きている、そんな自分に気付くことも無く、
偶々(たまたま)善を為しても、それを悪にかえてしまう悲しくも愚かな存在として説かれています。
ここで静かに自分を見詰めてみることに致しましょう。まず、悪い事とはなんでしょう。
仏の教えの第一の悪は、まず生き物の命を取ることです。(殺生)
しかし、私達が生きていくためには、生物の命を取らなくてはなりません。
牛を殺し、豚を殺し、魚を殺し、という具合です。しかし、自らの手で殺していないものですから、
毎日の食卓に並ぶそれらの命を、罪の意識で眺める人はまず居ないと思います。
数年前に、寺の総代をして居られた方がいました。この方は、家業が魚屋さんでしたが、毎日多くの魚の命を取って生計を立てていることに、常に罪の意識を感じていたのでしょう。
毎年、魚の供養の法要をしておられました。
その法要の時に、「私は、多くの魚の命を取って生計を立てている罪人です。しかし、考えてみますと、お客さんがその魚を買いに来なければ、魚の命を取ることも有りません。それを思うと、魚を買いに来る人も罪人ですね……」と言われたことが有りました。
自分の手で、魚を殺したりしないものですから、私達は、殺生を行って生きているとは思えないのです。
しかし私が、魚や牛や豚を食べる裏で、確実にそれらの命が消えているのです。
ある宗教のように、人間のために総ての生き物が神によって造られたのであり、生きていくために、神が人間に与えたものであると考えるのならば、さほど罪の意識も感じないでしょうが。
しかし、それらの生き物が神によって我々に与えられた物ならば、私が、お腹がすいたと感じたら、鶏や牛の方から、首を出してどうぞ殺して下さいと。来そうなものですが、彼等も私と同じように自由に生きていたいのでしょう。殺そうとすれば、一生懸命抵抗し逃げ回ります。又、殺される時は悲痛な叫び声をあげます。それを考えますと、彼らは人間のために有るのではなく、人間のために神が与えた物だとも考えられません。
又、更に、肉食を断ち、一心不乱に六根清浄と修行している高僧も、本当に殺生を犯していないと言えるのでしょうか。
いいえ、人間であり、この肉体が有る限り無理と言わねばなりません。野菜も、米も生きものにはかわり有りません。
それよりも、その修行者が修行のみに精進できる為には、その修行者のために、代わって米を作り、
野菜を作り、又、それを運び、料理する人間が居なければなりません。その彼の修行を支えている人達は、動物の肉を食べ、魚や鳥の肉を食べ、殺生を犯して生きている人達です。彼らの殺生の上に、修行者も生きているのです。
それでも、「私は殺生を犯さず精進潔斎しています。」と言えるのでしょうか。
ある宗教では、「血に携わることを避けなさい。」という言葉から、物の命を取る仕事を避けたり、
血を見る仕事を避ける人が居ますが、しかし、誰かがその仕事をしてくれているお陰で、自分が生きているのであって、仕事に悪い仕事、良い仕事という区別は無いはずです。
現に、誰かが殺してくれた生きものを、おいしいおいしいと食べているのですから。
それでは、自分の手を汚さずに、自分だけ良い子に成ろうとしているとは思いませんか。
そうしますと、殺生を犯していない人間は一人も存在しないことに成ります。
では、良い事についてはどうでしょうか。
はたして末通った本当の善を成せるのでしょうか。
現在、京都東山に八坂の塔がそびえていますが、昔は、比叡山三千坊の一寺で七堂伽藍の素晴らしいお寺が有りました。その寺に、贍西という修行僧が居りました。
ある時その僧は、仏の教えである布施の行をしよう。困った人に施しをして少しでも人の為に成ろうと心に決めました。
師走の寒いある日、みすぼらしい姿の老婆が訪ねて来てこう言いました。
「私は、この寒さに着るものも無く困っております。
どのような着物でも結構でございます。どうぞお恵み下さい。」と。
贍西は思いました。今日、仏様の前で布施の行をやろうと心に決めたばかりです。
これはきっと仏様のお導きであろうと。そこで、着ていた衣を脱いで与えました。
老婆は喜び丁重に押し戴きながら、何度も何度もお礼を申しながら帰っていきました。
贍西は、自分のした行いに喜びを感じていました。
しかし、それから数日過ぎたある日、
先日の老婆が訪ねてきて着物が無いので欲しいと頼みました。
贍西は心の中で、この老婆は先日と同じ事を言う、あの時の服はどうしたのだろうかと思いますが、
いやいや、これも仏様のご催促であろうと思いなおし、着ていた服を脱いで再び与えてやりました。
老婆は以前と同じように何度も礼を言いながら帰っていきました。
贍西は、(愚痴の心を抑えて、お前はよく布施の行を勤めた。老婆の喜んでいた姿を見ろ、お前は立派なことをした。)自分で自分を誉めてやりたい心で一杯でした。
しかし、それから又数日過ぎたころ、老婆が訪ねてきて着物を請いました。
その時、贍西は布施の心を忘れたのでしょうか、心の内の愚痴を抑えることが出来ませんでした。 思わず、
「貴方は先日来、これで三度着物を請いました。私は気の毒に思い、二度まで貴方に衣を脱いで与えました。私も修行の身、衣とて沢山持っている訳ではありません。先日与えた衣はどうしたのですか、金に換えて食べ物にでもしてしまったのですか」と、半ば怒りにも似た口調で言いました。
すると老婆は
「京の町で物を請いますと、一度乃至二度まではどなたでも快く施しをして下さいます。
しかし、三度目になると、貴方と同じことを言われます。其のように惜しみのかかった物ならばいりません。これこの通り、以前の衣はお返し致します。」と、
どこに持っていたのでしょうか、二枚の衣を取り出して置いたかと思うと、さっさと帰っていきました。
贍西は、その老婆の言葉が余程厳しく胸に応えたのでしょう、
しばらくの間、まんじりともせず、その老婆の後ろ姿を見送っていました。
そして急に、何かにつかれたように、老婆の跡を小走りに追いかけ始めました。
しかし、老婆の足は早く、山門の所まで来ると急に何処へともなく消えてしまいました。
その刹那、(私は、布施の行を為し、困った人を助け、善を為したと自惚れていた。しかし、惜しみのかかった善であり、自惚れ心のある善でありました。純粋な善は、到底私にはできない。)と、始めて、贍西は自分の心に気付きました。
仏の教で「何時」、「誰に」「何をしてやった」という三つの思いのどれか一つでも、心に残るような施しでは、本当の善にならなしと 説かれています。私達の善は、
「何時、誰に、何を」してやったと、心のうちに刻み込んだ善ではないでしょうか。
人に何か良いことをしてもらったのは、何時までも覚えていませんが、何か人に良いことをしてやったのは、何時までも覚えています。
以前、仕事も無くて因っていたあの人に仕事を紹介してやったとか、借金で困っていたときに、お金を貸してやったとかそんな思いが何時までも残っているものですから、
「まあ、○○さんは、先日道で擦れちがって挨拶をしたら、知らん顔して行ってしまった。最近金回りが良くなったら急に偉そうになった。」と愚痴が出てくるのです。
『智度論』という書物に、
智慧第一といわれた舎利弗が、布施の行を勤めておられた時、一人の乞食に出会います。
舎利弗の智慧の眼は清らかに澄んでいました。乞食はその美しい目を嫉み、欲しいと言います。舎利弗はその時六十効目の修行に入っていました。その乞食の申し出に、舎利弗は、激痛に耐えながら惜しみも無く自分の片方の眼の玉をくりぬいて乞食に与えます。
しかし、喜ぶと思った舎利弗の思いとは裏腹に、乞食はその清く澄んだ舎利弗の眼の玉を、手にうけとり少し臭いを香ぐと、「こんな臭いものはいらない。」と大地に叩き付けて、足で踏み付けてしまいます。
さすがの舎利弗も心穏やかではありませんでした。それ以来、世の人を救うことを断念したという話が載っています。舎利弗でさえもそうなのですから、私達なら当然かもしれません。
何か良いことをしても、礼を言って貰えれば満足出来ますが、礼を言って貰えなければ腹がたつ。ましてや、施した物を「こんな物いらない。」と言われれば腹が立ちます。
せっかく善いことをしていても、後でどんどんと善を悪に変えてしまう。それが私の本当の姿ではないでしょうか。
善導大師のお言葉にこうあります。
「外に賢善精進の相を現ずることをえざれ、
内に虚仮を懐けばなり貪瞋邪偽奸詐百端にして悪性やめ難し、
事蛇蝎に同じ、三業を起こすと雖も、なづけて雑毒の善となす。
又虚仮の行となづく真実の業となづけざるなり。」
(人に対して如何にも自分は善を積み、悪を成していないかの様に振る舞ってはいけない。
心の中は外とは裏腹である。欲しい、憎い 可愛いいと、 悪い心が丁度腹の中にさそりと蛇を飼っているかのように湧き起こっているではないか。かりに、少しの良い心を起こしたといっても、毒の入った心であり純粋な心からの善とはいえない。)
如何にも善いことをしているように見えていても、毒の混ざった善であり、本当の純粋な善ではない。とはっきり私の善を示されています。どんな立派な料理をこしらえて人をもてなしても、毒が少しでも入っていると、其の料理は食べられませんし、もてなしに成りえません。
それと同じように、どんなに良い行いでも心のうちに不純な思いが有れば、総て無効になってしまいます。
勿論、善いことをしなくていいと言っているのではありません。善いことは、率先してしなければなりません。しかし、自惚れてはその善は無効と言っているのです。
もう少し深く自己をみつめていきますと、善のどれ一つとして純粋に為しえない我が身が見えてまいります。真剣に善を為そうとすればするほど、自分の心の醜くさ、不浄さ、虚仮さが見えて参ります。
かつての高僧と言われた方々は、自分の持っている清浄なる仏性を高め六根清浄と真剣に善を納めて悪を排する修行をしていくなかで、必ず、己の真の姿に気付いて、涙のうちに慚愧の言葉を残しておられます。
例えば天台宗(比叡山)をお開きになった伝教大師最澄は、『願文』の中に
「愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情、底下の最澄。」 と、
自らを誰よりも愚かで、狂人の中でも最も狂っている最低の人間最澄と懺悔しています。
又、【智慧第一の法然坊】と比叡の山で、智慧において並ぶ者無しと言われた浄土宗をお開きになられた
法然上人も、
「我れは烏帽子もなき法然坊、黒白も知らず、童子の如。」と
黒白の判別も付かない子供のようであると、真の心のうちを懺悔しています。
浄土真宗の宗祖、親鸞聖人も又、
「小慈小悲も無き身にて、有情利益は思うまじ 」と、少しの善いことも出来ない私であるから、
人を助けているとか、人を指導しているとか思うことはできません。と言い。
又、自分のことを愚禿親鸞と、愚かものの親鸞ですと名乗っています。
又、一度に十人の人間の話を聞いたといわれる聖徳太子も、
「彼かならずしも愚にあらず。
我れかならずしも聖にあらず。
共にこれ凡夫のみ」と。
私も貴方も、そして、聖徳太子も、共に同じ凡夫であると言っておられる。
『凡夫』とはどのような人間かと言いますと、
親鸞聖人が
「凡夫というは、無明煩悩われらが身にみちみちて、
欲も多く、いかり腹立ち嫉み、嫉む心、多くひまなくして、
臨終の一念に至るまで、とどまらずきえずたえず。」
と、詳しくお示しになっておられます。
おぎゃあと生まれてから毎日、「欲しい。惜しい。憎い。損した。得した。」と、死の刹那まで消える暇なく罪を造り続けている。それが人間の姿ということです。